イイジマ ヨシトキ
私は1978年4月に工学部応用化学科に入学、自然科学の研究の世界への第一歩を踏み出しました。大学に入学した1970年代は日本が半導体分野でアメリカに挑み続けた時期(半導体技術者数はアメリカの1.5倍を輩出)で、この分野でキャリアパスが得られる電気電子学科が学生に人気な学科でした。一方化学系は石油ショック後の産業としてエネルギー分野への転換が始まった時で、山梨大学も応用化学科第一講座が長年研究を行ってきた燃料電池に注目が集まり、燃料電池実験施設(現在のクリーンエネルギー研究センターと、水素・燃料電池ナノ材料研究センターの前身)ができた時期でした。
当時(昭和50年代後半)の大学の講義は、現在のプロジェクターを使った資料投影や説明とは異なり、全て板書または教員の話だけで行われていました。しかし、時折、英語講演のテープを聞く機会があり、ヒアリングのスキルや講義以外の話(教員の経験など)が学生の成長につながる貴重な機会となりました。これらの経験は、将来研究分野での仕事を目指す上で大いに役立ちました。
卒論・修論の研究テーマは、基礎科学分野に近い平岡賢三先生の研究室で、超高真空技術、電子線、量子論を駆使して有機薄膜物性について3年間没頭しました。研究室時代は厳しい実験への取り組み姿勢と基礎学習の重要性を学びました。朝から夜まで実験と輪講に取り組む日々は、今の学生からは考えられないほど厳しいものでした。物理を中心とした物理化学分野の面白さに加え、指導教員である平岡先生の研究姿勢を日々見て、将来は平岡先生に追いつき、追い越し、世界的に認めらえる研究者を目指すことを決意しました。その後、電子顕微鏡のトップメーカーである日本電子(株)に就職しました。日本電子(株)ではX線光電子分光装置の技術と応用研究を担当し、企業の研究者だけでなく、著名な大学教員に対して機器の説明や解析データの説明を行う機会がありました。この経験を通じて最先端の研究を理解する日々を過ごしました。私が担当したX線光電子分光装置は、大学4年生の時に Kai Siegbahn 先生(Uppsala 大学)が光電子分光装置の開発でノーベル物理学賞を受賞した機器でした。当時はノーベル化学賞を福井謙一先生(京都大学)が受賞しています。この光電子分光装置はその後30年以上にわたり、私の研究の中心となりました。なお、入社後に Kai Siegbahn 先生にお会いする機会もありました。
1982年工学部応用化学科卒業、1984年大学院修士課程修了、1995年大学院博士課程修了