山梨大学工学部

卒業生・修了生

吉澤研究室同窓会(旧工学部精密工学科)

永壽 伴章 

エイジュ トモアキ

 コロナウイルスの流行のため、酒席の開催がはばかられ、2018年1月以来、開催に踏み切れなかった旧工学部精密工学科吉澤研究室の同窓会を久しぶりに令和5(2023)年11月17日に開催いたしました。

 参加者の中で一番お年上の方は卒業から60年近く経っており、若い人でも60歳代後半で、卒業生43名のうち、11名が参加でき、吉澤先生との旧交を温めることのできたひと時でした。

 若い人がそれほど若くないのには、理由があり、山梨大学に吉澤研究室があったのは、昭和43(1968)年4月から昭和53(1978)年3月の10年間だったためです。
吉澤先生は大学院博士課程を終了後ただちに山梨大学工学部精密工学科に講師として赴任され、10年間、高速度写真、モアレトポグラフィ、ホログラフィなど当時最先端の光学関連の研究をされるとともに、私たち学生の教育、研究指導をしていただきました。当時は大学院進学率があまり高くないため、同学年の学生たちの横のつながりはともかく、学年を超えた縦のつながりはあまり発生しにくいと考えられがちですが、本研究室の卒業生はニコン、フジノン、ヤシカ、コニカなど光学機器メーカーに就職する割合が高く、卒業してからも縁ができやすくこのような同窓会の発生につながったと思います。
 もっとも吉澤先生が農工大に異動されたこともあり、現役時代にはそのような話もなかったのですが、20年位前、現役を退く方が出始めるころから、みんなで集まりたいね、という話が持ち上がり、その後数年おきに同窓会を開くようになりました。

 その吉澤研究室ですが、工学部の北側の武田通り沿い、A1号館の2階、階段を上って左側(東)すぐのところにありました。トイレの向かい側ですが、現在では金先生がいらっしゃる研究室/実験室です。なお金先生は吉澤先生の農工大時代の教え子にあたるそうですが、奇しくも現在、山梨大学時代の吉澤研究室を物理的に継いだ形となっています。世の中意外と狭いものです。当研究室では光学関係の研究をしていたので、実験室は基本的には暗室になります。夏はクーラーがあったのが救いでした。学生は1人1テーマで卒論/修論に取り組んでいたので、実験室はいくつかの暗室スペースに区切られ、学生の居住スペースはなんと室内に作った中2階というユニークな配置でした。現在の消防基準では無理かもしれませんね。実験は大学で、レポート作成や勉強は自宅で、という考え方は、当時は普通にあったと思います。

 実験を行うにあたって、当時はデジタルカメラのような便利なものはなくフィルムや写真乾板を真っ暗ななかで取り扱っていました。先輩たちに教えていただきながらフィルム現像や写真焼き付けなどの技能を身につけないと実験もままならなかったのですが、今や隔世の感があります。PCはまだごく黎明期で、8ビットマイコンや、関数電卓が最先端でした。いまでは、デジタルかつAI的な三次元画像計測やボケ画像の修正などは当たり前の技術ですが、逆に当時、アナログな技術でもそれなりにそのようなことができたのがかえってすごかったのではないかと思えます。研究室の方針として、自分の実験道具は自分で作るというものがありました。もちろん地方国立大学の乏しい予算事情もありますが世の中の誰も取り組んでいない研究を進めているというささやかな自尊心をくすぐるものでもありました。その時の経験のせいか、今でも、趣味の道具は市販品では満足できずに改造したり新たに作ったりしています。

 今回の同窓会で、皆様は、一応は引退したようでも、その後新たに活動を展開している方が多くいらっしゃることがわかりました。これからも吉澤先生をはじめとして皆さまから元気に活動を続けていこうという元気をいただけたように思います。 少子高齢化がすすみ、私たちもまだまだ頑張らなければいけないようです。大学時代の同窓会は卒業生の地域が全国に広がり高校以下のそれとは趣が異なるので、皆様にもぜひ大学の研究室の同窓会をお勧めしたいと思います。

1977年工学部精密工学科卒業、1979年大学院修士課程修了