山梨大学工学部

その他

工学部への想い

竹内 智

タケウチ サトシ

 創設100周年を迎えられた工学部に心よりお祝い申し上げます。
 私が山梨大学に奉職したのは1977年で定年退職は2019年なので、工学部では約40年間にわたって教育研究に携わりました。これまでの教育研究を概観しながら工学部の将来について語りたいと思います。
 当時の工学部には基礎教養科目を専門に担当する「工学基礎教室」が設置されており、化学実験や応用数学、物理学などの授業を8講座で担当していました。1講座は教授・助教授・助手・事務官が基本だったので、本教室は学科並みの大所帯でした。私は第7講座に助手として所属し、応用数学の科目を担当しました。この授業では、FORTRANという科学計算に適した言語を使用して数値計算の講義と計算機実習を行っていました。当時の大型電子計算機は、現在のパソコンとは比較できないほど処理能力と記憶容量が小さかったのですが、コンピュータ教育と研究の遂行には不可欠なものでした。私はプラズマ加熱の計算機シミュレーションについて研究していました。コンピュータ技術はその後飛躍的に発展し続け、今話題の生成AIにまで進化しています。これからもどのように発展してゆくのか予測がつかない状況です。
 1991年には大学設置基準の大綱化によって、多くの大学で一般教育科目の削減が行われました。一般教育・外国語・保健体育などの担当教員が所属していた「教養部」は全国的に廃止されました。工学基礎教室も例外ではなく、本教室の解体後、各教員は工学部の関連学科に所属することになり、私は1989年に改組再編された電子情報工学科に配属となりました。
 1998年4月には工学部に循環システム工学科が新設されました。地球規模の環境問題を視野に入れ、物質・経済・情報の循環を目指す環境系の学科でした。人文社会系と自然数理系の教員による文理融合教育が行われ、大学院は学際的な教育研究を行うユニークな持続社会形成専攻という名称でした。これを契機に、私は新設学科に異動して環境科学の教育研究を始めました。
 2012年の大学改革では、循環システム工学科と生命工学科、土木環境工学科環境系さらには教育人間科学部社会科学系の教員が所属する生命環境学部(生命工学科、地域食物学科、環境科学科、地域社会システム学科)が新設され、私は環境科学科に配置換えとなりました。そこでは再生可能エネルギーの利活用に関して、廃食用油を利用したバイオディーゼル燃料や水素発酵に関する教育研究を行って定年を迎えることになりました。教育研究の指導に関わった学部生や大学院生が社会の第一線で活躍していることが、私にとっての誇りとなっています。
 約40年間における変遷を概観してみましたが、工学部はもちろんのこと山梨大学としても改革の嵐に翻弄されてきた感は否めません。なかでも大きな影響を与えた改革は、2004年4月に始まった国立大学の法人化でした。国が大学の財政に責任を持ち、大学の特性を生かした自主・自立の運営ができるという触れ込みでしたが、大学自治の根幹ともいえる教授会権限が大幅に縮小され、学長の権限が拡大されました。さらに、大学予算が年1%の割合で削減され続けたことから、教育研究予算が縮小され、競争的資金を獲得するために教員の事務仕事が膨大となりました。時間と研究経費がかさむ基礎研究は敬遠されるようになり、先進諸国の中で日本だけが研究発表論文数が減少するという特異な現象が起こりました。大学法人法のさらなる改革として「運営方針会議」が先の国会で成立されましたが、大学自治や学問の自由をさらに束縛することになるのではと危惧されるところです。
 教育研究のための十分な時間や予算が保障されない中で、最も影響を受けたのは学生や大学院生ではないかと思います。教養部の廃止により、工学部の学生にとって基礎教育が必須であることが再認識されたことで、2022年に工学部附属基礎教育センターが設置されたことは、学生達にとっても朗報であると思います。これを機に、工学部の将来に向けて活力を生み出す基礎研究への支援体制も確立されることを願ってやみません。 工学部のキャッチフレーズは「未来世代を思いやるエンジニアリング教育」です。未来の技術者として若者たちが学ぶ工学部は、SDGs:Sustainable Development Goalsの実践に向けた教育研究の場として不可欠であると考えます。学問の薫りが漂い、自由と活気に溢れるキャンパスを取り戻し、地域に開かれた工学部へと発展することを期待しております。

山梨大学 名誉教授