山梨大学工学部

卒業生・修了生

工学部の大学生活で得られたもの

佐野 俊二

サノ シュンジ

 山梨大学工学部の設立100周年、おめでとうございます。
 私が在籍していた4年間は、その長い歴史のなかの1/25にすぎないのですが、このたび機会をいただくことができましたので、工学部時代の思い出とメッセージを寄せさせていただきます。
 私が山梨大学工学部に入学したのは1994年、今からちょうど30年前でした。その後の30年の間だけでも、医学部との統合、国立大学法人化、学科の統合・新設など、多くの変化がありましたが、工学部は山梨県の、さらに日本の工業・産業界に対して、研究成果や人材の輩出など多方面にわたって多大な貢献をされてきたものと存じております。
 山梨大学工学部100年の節目の今年は、おりしも長女の大学進学の年ともなり、進路に悩む姿を見ながら、改めて自分自身の大学入学前後からの30年を振り返り、思い出を書かせていただきます。

 バブル景気の終焉後の1994年当時、私は自身の知識や技術で活躍できる技術者・研究者に憧れて工学部を志しました。当時20歳前の自分にとっては、当初それは漠然としたものでしたが、入学後、大学生になって初めて、未知の現象・技術に取り組み「研究者」である先生方に接し、国内だけでなく世界的にも先端的な研究をしている生の姿を拝見することができました。また講義や研究室などで、折に触れて理系技術者としての心構えなども語っていただいたことで、曖昧だった私のその後の人生に、大きく方向性を与えていただいた4年間だったと、今、振り返ってそう思います。さらに、自然環境に恵まれた山梨という立地から、友人と釣りやスキーに出かけたり、バイクでのツーリングをするなど、いまでも続く友人関係や、趣味に没頭することもできた充実した4年間でもありました。

 卒業後は、山梨県内の製造メーカに生産工程の技術者として就職しました。社内には工学部卒の先輩・後輩も多く、工学部の幅広い人の繋がりを感じながら仕事をすることができました。
 残念ながら数年前、会社は事業閉鎖となりましたが、電子機器の品質保証の知識や不具合の解析の知見を生かして、宇宙開発に携わる職に就くことができました。現在は人工衛星の品質や信頼性を管理・評価する仕事をしていますが、考えてみると、これも学生時代に電子顕微鏡や機器分析装置に触れる機会があり、生産工程管理の業務に加えて、不具合解析や分析を得意分野として仕事の幅を広げることができたことにもよると思います。このような「きっかけ」となる経験を学生時代にさせていただいたことにも感謝しております。

 最後になりますが、山梨大学のキャッチフレーズとして「地域の中核、世界の人材」が掲げられています。わたしも山梨大学工学部出身者の一人として社会に役立つ仕事をしていきたいと考えています。これからも、いろいろな環境や社会情勢の変化はあるかと思いますが、山梨大学工学部で変わらず多くの人が学び、知識・技術を身につけるだけでなく、その後の人生の転機における「きっかけ」となるものを得たり、人とのつながりを広げる場として存在し続け、今後さらに50年、100年と、様々な成果や人材を世界に発出していくことと祈念しております。

1998年工学部化学生物工学科卒業