山梨大学工学部

卒業生・修了生

すべての始まりは工学部

芦澤 里樹

アシザワ サトキ

 山梨大学工学部100周年おめでとうございます。
 すべての始まりは工学部にある。といっても過言ではないほど、今の自分を形成しているのは、大学時代の経験によるところが大きいです。大学生活はすべてが刺激的でした。高校生までとは自由度が違うので、やる気になればなんでもできたと思います。それまでの自分では、到底やらなかったことにも取り組めるようになったのは、大学時代の友人の影響が大きいです。多様な人間が多く集まっていたので、やることが破天荒でしたね。「興味があったら積極的にやってみる」をモットーにしているかのように何でもやっていました。ノリと勢いを原動力にしていたので、変なこともたくさんしました。酒を飲んだ勢いで、みんなで髪を染めたこともありました。昨日まで黒髪だった人たちが、金色、緑色・・・次の日には、色とりどりの頭で授業を受けていました。ちなみに私の髪は赤色でした。ある時は、みんなで海に行こうとなったのですが「せっかくならお揃いの水着で行こう!」と誰かが言い出したものだから大変です。青いブーメランパンツが並んだ姿は壮観でした。エピソードとしては変ですが、積極性や「失敗してもいいじゃない、やる気があればなんでもできる」という考え方にはかなり影響を受けています。
 もちろん専門的な授業も今となっては大変役に立っています。なかでも化学実験は、論より証拠を実践していて何よりも面白かったです。一番印象に残っているのは、ジアゾカップリング反応によるオレンジⅡの合成ですね。試薬を混ぜ合わせて反応を行うことで鮮やかなオレンジ色の液体ができたのは驚きでした。オレンジⅡは染料として使われているということで、化学実験でも布への染色をしましたが、その体験から「ああ、自分は化学だけでなく工学を学んでいるのだ」と実感したことを今でも覚えています。工業製品というものを意識した初めての機会だったと思います。
 紙を赤く染めたり、青いブーメランパンツで海に行ったり、オレンジⅡでの布の染色など大学時代の記憶の中には色とりどりの思い出や経験があります。
 多くの色を混ぜ合わせると黒になるのは皆さんご存じのとおりです。悪い思い出のことを黒歴史といったりもしますが、私の学生時代はたくさんの色(経験)に染められた”良い意味での”黒歴史だと思っています。
 そんな黒歴史を経て、現在は山梨県産業技術センターに勤務しています。県内製造業の支援が本務の県の組織です。分析機器を扱うことが多いので、大学の授業がそのまま役に立っています。「仕事に必要なことは学生時代に身についていました」と言いたいところですが、そういう訳にはいかず、今でも日々勉強です。しかし、学び方は学生時代に身についていたので、その点は今でも生きています。仕事の中では、様々な業種の方と面識を持つことがありますが「なんにでも興味を持つ」ということも学生時代に学びました。
 中小企業支援のための技術開発・研究を行っていますが、その中で山梨大学とも共同研究を行っており、設備利用もさせてもらっているので今でも大学には顔を出しています。大学内を歩いていると、黒髪の学生が多くなる時期があります。そんな光景に「就職活動が始まっているのだな」と遠い目をしてしまいます。就職活動に取り組む彼らもたくさんの色に染まった結果、黒くなって旅立つのではないでしょうか。大学は教育の場です。単に授業だけでなく、大学生活すべてに学ぶことがあると思います。山梨大学工学部には、これからもそのような教育の場を提供いただき、色鮮やかな歴史を紡いでいって頂きたいものです。

2003年工学部物質・生命工学科卒業、2005年大学院修士課程修了、2008年大学院博士課程修了

山梨県産業技術センター 勤務