山梨大学工学部

教職員

祝・工学部創立100周年

宮嶋 尚哉

ミヤジマ ナオヤ

 工学部創立100周年、誠におめでとうございます。メッセージ執筆の機会を頂戴しまして感謝申し上げます。学生として6年間在籍し、教職員として22年目を迎え,工学部の歴史の約1/3を一緒に過ごしてきました。約35年前に工学部の門を潜った時は、当時の工学部改組に伴い、化学生物工学科(現・応用化学科+生命工学科)が新設された3年目でした。この学科編成より、2年次まで共通のカリキュラムを学び、3年次以降に化学系または生物(発酵生産)系のコースカリキュラムを選択するという、さながら現工学部のクラス・コースカリキュラムの流れを随分早く経験しました。一方、入試制度も大学入試センター試験に代わった頃で、本学の2次試験は連続方式のB日程を採用していたように思います。団塊ジュニア世代の受験ということで試験室の確保が困難だったためか、化学生物工学科志望の我々は、甲府キャンパスではなく近隣の甲府一高で受験したことは稀有な体験でした。
 この間、甲府駅から甲府キャンパスまでの景色は大きく変わり、キャンパス内の建屋や構造も30年前の面影を一部残しつつも様変わりしました。着任の翌年には、教育学部側の大きな駐車場に現・応用化学科が入居する総合研究棟が建設されました。30年以上も続く大講座制の研究室の引越しは中々大変で、当時の研究生と共にほぼ日課の片付け作業に加え、途中、仮設プレハブを経てのB1号館からの大移動に辟易したことを思い出します。
 さて、工学部100周年の節目に令和の工学部改組が行われ、今度は職員の立場で工学部の新たな出発に立ち会うことになりました。本学の従来からの魅力的なコンテンツを先導にして、社会の多様化に柔軟に対応できる人材づくりを志向した組織編制です。一方、甲府市は県庁所在地としての人口が最も少なく、かつての中心街も元気の無い印象を受けます。新生工学部に学生を呼び込むには、大学のオリジナリティに加え甲府の町自体の活性化も不可欠です。両者の懸け橋として活躍する卒業生を輩出し、彼らを目指す生徒を呼び込むといった人材育成・循環に貢献できるよう努めていきたいと考えます。

1995年工学部化学生物工学科卒業、1997年大学院修士課程修了

山梨大学大学院総合研究部工学域基礎科学系 教授