オカダ カツゾウ
山梨大学には1962年4月から2009年3月までの47年間に渡り、学部・修士の学生(6年間)と教員(41年間)として機械工学科・機械システム工学科に在籍させていただきました。これは工学部創設100周年のほぼ後半の部分に相当いたします。想い返せば色々なことが脳裏を巡ります。その中で、最も山梨大学工学部の発展に寄与した大改革のひとつが大学院博士後期課程の創設(3年)であったものと回想します。
戦後の1949年に国立大学のひとつとしてスタートした山梨大学工学部は、1965年3月に専門職教育を主目的とする大学院修士課程(2年)を併設して、「大学院」大学化が行われました。しかし、当時はその上に積み上げる大学院博士後期課程(3年)は東大・京都・大阪・東北・九州・北海道の6旧帝大と東工大の7大学のみが運営しており、どこの新制大学にもこの大学院博士後期課程(3年)を、国は認可しませんでした。例外として、国が工学系新制大学に大学院後期博士課程(3年)を認可したのは、1976年開設の静岡大学電子科学研究科の一つのみでありました。
新制大学に後期博士課程(3年)の大学院を設置して、博士号を授与することが可能となる機運が政府内に生まれましたのは、「大学院設置基準法」が改正された1979年以後になってからのことであります。この改正により、1989年には工学系の新制大学でも博士号を授与できる大学院が設置されることになりました。この新しい大学院は「修士」を授与できる前期博士課程(2年)に、「博士」を授与できる後期博士課程(3年)を積み上げる5年方式です。一般に前者の大学院を修士課程、後者の大学院を博士課程と略称しています。
丁度、この時期の山梨大学工学部長が向山芳世先生(機械1954卒:没年2021)でありました。5年制の大学院を併設する大学は一人前の大学であり、「独り立ちできる学問の府」であります。何としても5年制の新しい大学院を部長の任期中に設置したい。このような強い意志で、向山芳世先生は大学院設置の準備に臨まれました。学内の申請準備は無論のこと、山梨県出身国会議員、山梨県知事、文部省など多方面にわたり、大学院設置の陳情を活発に何度も繰り広げました。
これらの多大かつ広範囲な努力が実を結び、文部省から大学院後期博士課程3年の設置が山梨大学工学部に内示されました。初年度に認可されたのは山梨大学を含む新制国立大学の8大学のみでありました。これに基づいて行われた大学設置審議会による大学審査・教員審査、学生募集、学生選抜などを経て、初年度の1992年4月の大学院後期博士課程(3年)には十数名が入学しました。その3年後の1996年3月には16名の第1回修了生が誕生し、博士号の授与が行われました。向山芳世先生の苦労が功を奏した瞬間でもありました。現在は少子高齢化の厳しい時代にあります。山梨大学工学部が地域に根差す大学として益々発展されますことを祈念申し上げます。
※本文は、2024年2月執筆時点の内容になります。
1966年工学部機械工学科卒業、1968年大学院修士課程修了
山梨大学名誉教授