山梨大学工学部

卒業生・修了生

工博甲第7号の学位記

杉山 公寿 旧姓:望月

スギヤマ コウジュ

平成7年3月22日、山梨大学体育館で執り行われた学位記授与式で、博士後期課程社会人コースを修了した私は工学博士となりました。昭和59年に工学部応用化学科に入学したときには夢にも思わなかった未来でした。

名古屋の河合塾で浪人生活を送ろうとしていた時に、二次募集に提出した共通一次試験の結果が補欠合格したとの連絡を受け、それこそ着の身着のまま入学手続きに山梨大学を訪れたのでした。着替えはまだ河合塾の寮にあったので中高時代に励んだバスケットボール部のジャージを着ての訪問でした。当然バスケットボール部の先輩方に捉まることになり入部。大学院修士課程を修了するまでの6年間お世話になることになりました。バスケットボール部での実績は個人では新人賞、ベストセンター賞、チームでは甲信越大会ベスト3と輝かしい成績を収めることができました。大会で行った善光寺の宿坊や戒壇巡り、春のお花見、夏の灼熱地獄の中での合宿など良い思い出ばかりです。

一方、学業の方はというと元々化学系が好きで応用化学科に進んだため、高校では体験できない学生実験での考察はもちろん、意外にも教養課程のフランス語の講義や文学の講義も受講した講義は一つも単位を落とすことなく楽しく過ごすことができました。大学4年になって所属講座を選ぶ際には燃料電池にするか無機化学にするかかなり迷ったのを覚えています。どちらの講義もとても面白かったからです。今から思うと指導教官で、今でも生涯の恩師と思っている鈴木喬(すずきたかし)先生の「無機化学は後始末の化学」という言葉が決め手でした。研究は大きくイオン交換とガス吸着で、イオン交換は重金属や希少金属の回収、ガス吸着は酸素と窒素の分離技術が主流でしたが、今から思えば現在の原発排水処理技術やCCUS(二酸化炭素の貯蔵・有効利用技術)に繋がる重要な研究でした。先見の明があったと感服するしかありません。

修士課程を終了後、縁あって大阪に本社を置く(現在は東京と両本社制)レンゴー株式会社に就職し、中央研究所に配属されました。2年間イオン交換材料を用いて抗菌剤を作製、これを包装材料に応用する研究をしていました。その中で鈴木先生から「社会人ドクターコースを作るので来ないか?」とのお誘いを受け、上司に相談したところ、「是非行ってきなさい。」と快く送り出していただき、更に3年間、山梨大学にお世話になることになりました。1年目は講義中心でしたが、月曜日に集中していただいたおかげで、日曜日に大阪から甲府に移動、月曜日に講義を受けて火曜日の朝から大阪で勤務するという生活を続けました。2年目から甲府に転居し、本格的な研究を始めました。特に大変だったのは審査がある雑誌に英語論文が掲載される必要があり、鈴木先生に真っ赤に直された論文を深夜までかかって修正したことです。博士論文のタイトルは「抗菌性無機イオン交換体の開発」で、様々なイオン交換体に抗菌性金属を担持させ、その性能を比較するだけでなく、フルーツキャップといわれる果実の保護に使われる包装材料に応用するというものでした。その後、4名の後輩の学生がレンゴー株式会社に入社し、各部署で活躍しています。また現在も博士課程の時に大阪大学から講座に赴任した阪根英人先生、当時後輩の学生だった宮嶋尚哉先生には色々とご指導いただいています。人生の中で私の人格形成とキャリア形成の場となった山梨大学の百周年にあたり、お祝いの言葉とさせていただきます。

1988年工学部応用化学科卒業、1990年大学院修士課程修了、1995年大学院博士課程修了

レンゴー株式会社勤務